てるログ

少しずつ、人生が前向きになるヒント

分かれ道は、どっちが正解?不正解?

 

人生は選択の連続である。という名言的なことをどこかで聞いたような気がする。

そして私は、散歩にとある人を誘うか否かという、小さな選択をすることがあった。

 

散歩は自分にとってリフレッシュな時間ですっきり一日を迎えるためのルーティーンみたいなものだ。

そこに他者がいることに不安もあった。しかもその人は感情的でどちらかというと苦手な人。でも、休日に家族のことばかりで忙しくうまくいかないと悩んでいた。

 

いつも通り一人で散歩するか、その人を連れ出して散歩をするか。

どっちが正解か、不正解か。

 

結局一緒に散歩に行くことにした。自分の運の貯金だと思うことにした。

 

結果的には、一緒に散歩するのも悪くないなと思った。

同じところを歩いているはずなのに、見ているところが全然違うのが面白かった。

いつもの楽しみ、川の音や鳥や自然を感じること、は同じように楽しめた。

そして喜んでもらえた、いい気分になったみたいだった。

 

 

なにかをやってみる時って、やる前はうまくいかないかもとかやな気持ちになるかもって想像がでてきてなかなか踏み出せないことが多い。

でもやってみると、想像してたよりいいことが多くて、「やってよかった」ってなることって案外おおい。

 

「二つ分かれ道があったとして、君はどちらかの道が成功で、もう一方が失敗の道だと思っていない?」

「どちらの道も失敗があって、それを少しずつ乗り越えた先に成功があるって思ってるんだ」

これは北欧時間に書いてある一文。

 

どっちの道も成功で失敗なら、楽しそうだったり何かワクワクすることが起こりそうなな道のりをえらべばいい。この文章に出会ってからそういう風に思えるようになってきた。

 

正解を追い求めていた20年間と比べると、今は楽だし人生がうまくいってるように感じられる。

過去の自分と比べて苦しくなるのは、不平等な条件でくらべているから?

 

よく自己啓発本で見るセリフ。

他人とではなく、過去の自分と比較するようにしよう。

調子が悪かった時はそれでも成長を感じられなくてしんどかった。

今は過去の自分と比較してもそういう風になはならないけど、一体何が変わったんだろうってランニングしながら考えてた。

 

それでわかったのが、

過去の自分とでも、最高の自分と、それも最も輝いていた瞬間との比較をしていた。

ということ。

 

外から見た自分の最高値って中学のときで

クラスのリーダー、学年のリーダーみたいな感じだったし、体育祭や文化祭で前に立ってみんなを仕切ったり引っ張っていて、みんなからの人望も暑かったと思う。

その輝いている自分と、療養中ですぐ疲れてな何も出来ない現在を較べていた。

過去の自分と比較するのに、不平等な条件で比べていたから落ち込んでたんだと思う。

 

条件を揃えて、毎日の生活の比較をしてみると結果は全然違かった。

中学の時は、親は毎日喧嘩していてなんで味方してくれないんだと巻き込まれることがよくあった。いつもビクビクしていた。毎日しんどかった。

療養中は親が別居してくれたから、そういう喧嘩は無くなったし、いや、あったわ姉と母の喧嘩。あ。やっぱりそれはしんどかったのかもなぁ、、笑。でも父親と比べられることはなくなってたし、ご飯が食べれないかもしれないという心配もなかった。

今は姉が結婚して家から出たから、喧嘩はかなり無くなったし、穏やかに過ごせてる。

昔みたいな華々しい活躍とかそういう瞬間はないけど、生活は穏やかに過ごせるようになってる。毎日は以前より幸せになったと思う。

 

成功や失敗はその時の環境や運に左右されやすいから、そんなに気にしすぎなくていいと思う。

そのかわり、過去の毎日より今の毎日が穏やかに過ごせているか、楽しいと感じれているかが大事だと思う。

家の時間なら家の時間。仕事の時間なら仕事の時間。

条件を揃えることで幸せになった部分を感じれるし、今後はどうして行きたいかを考えられると思う。

 

今でも調子が良くなかったりすると、過去の最高な自分と比べて落ち込んだりするときもある。

不平等な比較をしなくていいんだよと声をかけて日々を意識していきたい。